子どもたちが犠牲になる事件

子どもたちが犠牲になる事件

 久し振りの投稿です。12月だからというわけではありませんが、何かとわさわさ状態です。

 ニュースでは、ここのところ小さな子どもたちが巻き込まれて犠牲になる悲惨な事件が続いています。わたしの子どもたちが通う小学校でも、近くに盗撮者が出没し、コイツがまだ捕まっていないため、授業が終わると保護者が迎えに行く、というのをやっています。
 小学生を襲ったり、ましてや殺したりするというのは、明らかに異常者の仕業ですが、これが増えているというのはどういうことなのでしょうか。

 原因の一つにはインターネットがあげられています。確かにネットがこういう変質者の温床になったり、彼らの行為をあおる場であることは否めません。
 インターネットはよくバーチャルだとか仮想空間だとかいわれますね。実際これまで自分の妄想の中でしかできなかったことが、一歩進めて仮想空間の中では具現できてしまいます。良いことも、また悪いことも。人を感動させ、人類を明るい未来に向かわせることも、あるいは極悪非道で正視に耐えない犯罪も。そしてこれらはミリセカンドの早さで、世界中に伝達され、記憶されるのです。

 本質的に、これらを完全に規制することはできません。それは人の頭や心の中を縛れないのと同じ理由です。人間はこれまでにいろいろなものを手に入れました。ものには二面性があるため、様々なものを手に入れるのと同時に、また多くのものを失いました。インターネットのマイナス面をみて、じゃあネットは廃止しようとはできません。

 インターネット(だけではありませんが)などで悪しき妄想を膨らませ、隅々まで行き渡った興味本位のマスコミの力で、日本中の、いや世界中の犯罪の詳細を知った彼らは、これを模倣したり、競ったり、自分にもできると思ったりします。このような状況の中、こういう変質者や異常者たちに対抗するためには、いったい何が必要なのでしょう。どうしたら子どもたちを守れるのでしょうか?

 結局は、わたしたちひとりひとりの個人の力が問われているのだと思います。親として、教師として、あるいは近所のおじさんとして、こういう犯罪が起こらないように準備をする。
 そして万が一その事件が起きつつある現場に出くわした場合に備えて、少なくても異常に気付く感覚と、何とか解決する(方向に向ける)行動力を身につけなくてはいけないと思います。ごく当たり前のことですが‥‥。

 もちろんいつもピリピリしろということではありません。“芯”の問題ですね。



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